首藤 ひろえのストーリー

あなたの人生にも重なるかもしれない「自分を知る旅」の物語です


首藤ひろえの生い立ち

幼い頃の私は、いわゆる「いい子」でした。

親の言うことには逆らうことも特にせず(と言っても、親が私に何かをするように強いたことは一度もなかったのですが)、勉強も家の手伝いも、淡々とこなす、そんな子どもでした。

 

頭の回転が早いので、授業の内容はほとんど退屈だし、同級生だろうと先生だろうと、いちいち「正論」で論破してしまうので、きっと、先生にとっても面倒な生徒だっただろうと思います。

 

一方で、私は、自分の中に「何かになりたい」「何かをやりたい」という強い信念がなく、周囲の友達が、将来なりたい職業などを話すのを聞くと、なぜ、自分にはそういうものがないのだろうか、と不思議に思う日々でした。

 

特にこれといってやりたいことがなかった私は、4歳から習い始めたエレクトーンとピアノをなんとなく続けていたほかは、勉強さえできていれば文句はないでしょう、という態度で、高校は地元札幌の進学校に進み、そのまま地元の大学へ。

大学生になっても、バイトとサークル、ゼミの仲間との遊びに明け暮れ、やはり、やりたいことは特に見つからぬまま、就職の時期を迎えました。

 

折しも、就職氷河期が始まった頃。

女子の私にはほとんど選択肢がありませんでした。

地元の企業に何社か面接を申し込みましたが、どこへ行っても大量の女子学生が押しかけてきていて、機械のように面接をされる状態に耐えられず、「消去法」で公務員の道に進みました。

 

公務員時代

仕事に就いてからの私は、上司や先輩からの指示にいちいち「これは何のためにやるんですか?」「もっといい方法があるんじゃないでしょうか?」という調子。

目的がよく理解できないような「作業」を「とにかく、いいから、やれ!」と言われると、猛烈に反発したくなります。まさに「扱いにくい新人」でした。

 

半ば投げやりになりながら、3年を過ごした頃、都市計画系の部署に異動になりました。

そこでやっていたのは、地域の住民と話し合いをしながら、駅や道路、公園などの施設の整備計画を立てる仕事です。

当時、公共施設や道路などインフラ整備の計画づくりは、行政がほぼ一方的に行い、出来上がった計画を住民に「説明する」というやり方が主流でした。

しかし、それでは、住民からの反対が起こったり、完成した後に不満が出たりと、結果的に効率が悪い、それならば、最初から、住んでいる人たちの意見を聞きながら計画を作ろう、ということで、その話し合い方法を試行錯誤で組み立てているところでした。

 

そこには「前例」も「決まり」もなく、全て、自分たちで考え、議論して進めるしかありません。それまで「言うことを聞かない厄介な新人職員」だった私は、いきなり「キミはどう思う?自分の考えを言ってみて」と言われ、驚きとともに、感動を覚えました。

私は、何の臆面もなく「役所の常識」への疑問を投げかけ、自分の考える「そもそも論」を話しましたが、そんな私の話にも、先輩たちは真剣に耳を傾け、意見を取り入れてくれました。

 

そこから、仕事に対して前向きになることができた私は、その後もさまざまな部署で「前例なし」「ルールはこれから作る」というような仕事ばかりを任され、19年間、働きました。

 

30代前半で係長に昇任し、その間、結婚・出産もしていましたから、女性としてはまさに順風満帆のキャリアでした。

 

ところが、です。

ある日、いつものように仕事をしていると、電話の受話器を持って、ぺこぺこと電話口で頭を下げ「申し訳ございません」を繰り返す部長の姿が目に入りました。

議員からの電話であることは、取り次いだ人の声でわかっていました。

私は、その様子を見た瞬間、視界が突然モノクロになり、パチン!と、スイッチの切れる音がするのが聞こえました。

「私、この先10年勤めたとして、やるのはこういうことなのか」と。

その日以来、もう仕事に未来を感じられなくなり、仕事への意欲も気力もどんどん落ちていきました。

40歳を過ぎた頃のことでした。

 

人生の転機が訪れる

ちょうどその頃、とある勉強会の懇親会で向かいに座った人との名刺交換で、私は、不思議な名刺を手にしました。

連絡先の電話番号もメールアドレスもなく、ただ、その人の名前と、「魔法の質問」というロゴ、そして、ホームページのURLが書かれた名刺です。

「魔法の質問って、なんですか?」尋ねる私にその人は「そのホームページを見てみるといいですよ」と、微笑むだけ。あとは何も教えてくれませんでした。

 

帰宅した私は早速、その名刺にあったホームページを開きました。

どうやら、コーチングスキルの一種らしいことはわかりましたが、やはりよくわかりません。

でも、そこで一つ、重要な情報を発見したのです。

それは、その日から1ヶ月もない日程で、札幌で魔法の質問のセミナーがある、という情報でした。

ドキドキしながら「ポチッ」と申し込みをし、その日を待ちました。

 

そのセミナーには100人以上の人が集まっていて、しかも、何か講義を聞くというよりは、ひたすら、質問に答えて、同じグループの人たちと答えを伝え合う、という会でした。

2時間ほどのセミナーが終わる頃には、なぜか、不思議に満たされた気持ちの自分がいました。

 

その後、導かれるように「魔法の質問」を学んだ私は、気づいてみたら役所を辞め、フリーランスの講師として活動を始めていたのです。

ついでにほとんど同じ時期に離婚もして、シングルマザーにもなっていました。

 

質問というのはとても面白いもので、どんな人でも、質問されると、無意識のうちに答えようとします。

悩んだり迷ったりしていても、質問に答えるうちに、いつの間にか自分の中にあった答えを発見し、前に進むことができます。万能の課題解決ツールだ、私はそう感じていました。

 

役所という組織を離れ、いろいろな立場の人たちに、質問力で課題を解決し、自分の理想を実現する方法を伝え始めた私は、大きな充実感も感じていましたが、一方で、経済的な不安にも直面しました。

この先、本当にこれでやっていけるのだろうか?

その心配の通り、講師として大きな仕事がなかなか取れないまま、退職金はどんどん減り、ついに底をつこうとしていました。

 

どん底で運命の出会い!

そんな折、行きつけのカフェのオーナーから「店の庭でバーベキューパーティをするから来てね」と誘いがありました。

私は、いい気分転換だと思い、趣味のダッチオーブンを車に積んでパーティに参加しました。

友人たちのために、得意のローストチキンを焼いていると、見慣れない男性が声をかけてきたのです。

「女の人でこの鉄鍋使いこなすなんて珍しいですね」

そんな会話が、今の夫、そして「ネイチャー理論」との出会いの瞬間でした。

 

雑談をしているうちに、周囲の人がこんなことを言います。

「この人ね、生年月日でいろんなことわかるんだって!あなたも聞いてみたら?」

軽い気持ちで生年月日を教えたのが運の尽き!いえ、運命の歯車が大きく回り始めた瞬間だったのです。

 

私のことを一目で気に入っていた彼は、私の生年月日を手に入れた瞬間、心の中で小さくガッツポーズをしていたとか。

それもそのはず、彼にしてみれば、生年月日さえあれば、私がどんなことをすれば喜ぶか、どうアプローチすれば一緒にいられるか、全てを把握してしまったわけです。

 

私にとっても、一緒にいてこの上なく居心地が良く、安心できる相手とあって、すっかり意気投合した私たちは、その後、2度ほど会って、その時にはもう、結婚することになっていました(笑)。

 

ところが、私の仕事の方は相変わらず鳴かず飛ばず・・・

実情を知った夫は、当時の本業のコンサルティングのスキルを発揮して、私のビジネスの立て直しを手助けしてくれました。

時には、厳しすぎて落ち込んだり泣いたり、ひどい状態になることもしばしばでしたが、それでも、なんとなく「この人の言うとおりにやれば間違いない」という確信だけはあったので、必死で続けました。

そして、ふと気がつくと、事業は持ち直し、少しずつ、経済的にも回るようになってきていました。

 

思いがけない移住&田舎暮らしへ

そうして数ヶ月がたったある日、知人からの紹介で、十勝の広尾町役場から講師の依頼を受けました。

「広尾町?どこだろう?」全く知識がないところから始まり、2年間で6回、札幌から片道5時間ほどの道のりを広尾町へ足を運びました。

町長とも親しくなり、ある日、仕事を終えて昼食をご一緒している時、私は、なんとなく「広尾、いいところですね。住んでみてもいいかな」という言葉を口にしました。

町長は大喜び。「空き家ならいくらでもありますから」と、本気とも冗談ともつかない会話でその日は終わりました。

しかし、実際、母方の祖父が漁師だった私にとっては、海の見える田舎の漁師町の風景は、小さい頃の夏休みの楽しかった記憶とも重なって、無性に懐かしさと親しみを感じていたのです。

帰りのバスの中から、私は夫にメールをします。

「広尾町に移住とかって、どう思う?」

唐突な話ですから、何を言ってるの?と返ってくるだろうと思いきや、その返事は「いいね!いつ?」驚くのは私の方です。

 

後で知った話ですが、夫は、趣味のサーフィンで20代の頃から広尾町にはよく通っていたそうです。

あるとき「波待ち」で海にプカプカ浮かびながら「俺は晩年ここに住むことになる」というイメージが頭に浮かんだ、と言うのです。

だから、私が移住の話をしたときは「ついにその時が来た」と、何の不思議も違和感もなかったというのですから、人生うまくできているとしか言いようがありません。

 

とはいえ、札幌生まれの札幌育ち、札幌以外の場所には一度たりとも住んだ経験なく40代まで過ごしてきた私にとって、縁もゆかりもない土地への移住はどうもイメージができません。

そのうち・・・とぼんやりしている私に、夫は次々と具体的なイメージが湧くようなことを言うので、いつしかすっかり移住への気持ちが固まっていました。

すると今度は、夫のほうが、広尾町での当面の仕事が決まり、ちょうど中学3年だった息子も、一緒に広尾に移住して、広尾高校に入学する、という話が決まっていきます。

フリーランスの私は、基本的にはどこに住んでも問題ない話ですから、あっという間に、移住の体制も整ってしまったのです。

 

自分と向き合う強烈な体験

さて、そのまま広尾への移住の話へ進んでもいいのですが、ちょっと時計の針を戻して、もう1つ今の私を作っている大事な要素を紹介しなければなりません。

それは、夫と出会って半年ほど経った頃のことです。

 

とある友人に半ば強引に誘われて参加したセミナーで「わもん」との衝撃的な出会いをしました。「わもん」は元々は「話聞」と書きます。話す・聞くを繰り返すことで、「禅」の修行のように「自らを信じ切る力を高める自己修養」です。

何が衝撃的だったかといえば、忘れもしません、わもん創始者の「やぶちゃん」こと藪原秀樹氏が「1分間話を聞きます」と、私の前に座ったその瞬間、私の口から出てきた言葉は「息子のことが信じられないんです」でした。そして、以後は涙が止まらず、何を言っても、やぶちゃんが片っ端から「違う!」と一喝するのです。

でも、腹が立つどころか、どんどん温かい気持ちになる。一体これは何なんだ?

どうしても知りたくなり、そこから3年間、わもんを学びました。

そこで体験したのは、人の心の奥底にある「本音」を聞くことです。私たちはどうしても「こうあるべき」「〜〜でなければならない」といった考えに支配され、自分の本音を偽ってしまいやすいものです。

人の話をしっかり聞く、ということは、単に相手の発する「言葉」だけを聞くのではなく、話している本人すら気づいていない本音を聞こうと、真剣に向き合うこと。

その境地に至るために、まずは、自分自身がしっかりと自分の本音と向き合わなければなりません。

私は「自分は相手の話をちゃんと聞けている」と思っていたのですが、それは大間違い!

それどころか、私は、自分で自分の本音をしっかり感じることもできていない状態だったのです。わもんの原点は「絶対尊敬」。「絶対」ですから、どんなときも無条件に、自分自身も相手も100%尊重する姿勢です。

これを身につけたことで、今の私を構成する要素がすべて揃ったのです。

 

十勝からネイチャー理論を世界へ

私たちが2016年に札幌から十勝・広尾町へ移住し、そこから、夫が考案し、私が講座・セミナー商品として体系化した「ネイチャー理論」の普及を本格化させ、事業化することができました。

今では、企業や学校のPTAからも、ネイチャー理論を使った人材育成やチームマネジメント、子育てアドバイスなど、さまざまな内容での講演・研修の依頼が来るようになり、ネイチャー理論を学んでくれた仲間とともに、普及の活動に忙しい毎日を送っています。

 

これにも、実は面白いエピソードがあります。

 

ちょうど移住を目前に控えていた4年前のことです。

ある友人が私をお茶に誘ってきて、こんな話をするのです。

「今、広めようとしているネイチャー理論は、将来すごいものになる。今から「弟子」を育てて、講師で食べていける人を育てるプランを作るべきだ」

私は、自分一人ですら食べて行くのがやっとなのに、そんなことがあり得るのだろうか?と、にわかには信じられません。

でも、わざわざ私を呼び出した上に、ものすごい勢いで真剣にその話をするので、さすがの私も、自分の弟子が活躍している状況を頭の中で想像しました。

確かに、そうなったら楽しいだろうなあ、と思えたので「そうなのかなあ。じゃあ、今から考えておくことにするよ」とだけ答えたのです。

今、その状況になったことを考えると、これもまた面白い!と感じざるを得ません。

 

ネイチャー理論は「人生の謎を解くカギ」

さて、幼い頃からの私の話を長々と書き連ねたことには、実は理由があります。

それは、私が今の地点に到達した、たった一つの要因が、このストーリーの中に隠されているからです。

ネイチャー理論を知ってみれば「なあんだ、そうだったのか!」と、全ての謎が解明できます。

過去のどんな状況でも、自分自身が生まれながらに持っている「本質的な能力特性=ネイチャータイプ」がちゃんと活かされているのですから。

今のように、幸せな人生を手に入れたプロセスのことだけではなく、周囲から疎ましがられたり、仕事がうまくいかなくなったりした場面でも、全部です。

 

幼い頃から一貫して、相手が先生だろうと上司だろうと、思ったことを思ったとおりに、しかも思った瞬間に口に出してしまうのは、私が持っているネイチャータイプにある「高い言語処理能力」が裏目に出た場面です。

逆に、前例がないことや、状況に合わせた対応方法を考える力は、同じネイチャータイプのプラスの面が最大限に発揮されている状態ですから、モチベーションは大いに高まりますし、成果も出ます。

 

また、フリーランスとして開業後、将来を心配し、心配したとおりの状況に陥ったのは、私のネイチャータイプの中にある「引き寄せ力」が完璧にネガティブな作用を引き起こした状態です。夫は、ネイチャー理論を熟知していますから、私が未来の明確なイメージを持てるような言葉をかけ続けたのです。

しかも、わざわざ私を呼び出した友人は、ネイチャー理論のことを知っていたわけではないのに、なぜか「弟子が活躍する未来」を私に強くイメージさせました。

これは偶然の出来事なのですが、結果として、今の状況につながっているのですから、もしかしたら、その友人との会話の場面すら、私が引き寄せたもの、と言えるのかもしれません。

 

いかがでしょうか。

人の人生で起こる出来事はすべてに意味がある、とよく言います。

その本当の意味は、私は「すべての場面に、その人らしさが現れているから」だと考えています。

「そんな損をするようなことなら、自分らしさなんていらない!」と否定したくなるかもしれません。

しかし、その人が持っているネイチャータイプは、それそのものを変えることは決してできません。

これを、残念と思うか、ラッキーと思うのか。

 

私は、そのどちらの考え方も支持しません。

なぜなら、持って生まれたネイチャータイプには「優劣」「善悪」は一切ないからです。

 

ネイチャー理論を知る前の私は、持っているネイチャータイプの特徴を、まったく「無意識」のうちに使っていました。

いや、正確に言えば「暴走していた」と言った方が正しいかもしれません。

それは、自分自身が乗り込んでいる車が、どんな車種で、どういう機能・性能の車なのかをまったくわからず、地図も持たずにドライブに出るようなものです。

それがいかに危険で無謀なことか、想像するまでもないですよね。

なのに、私たちは、大切な自分の人生において、それとまったく同じことをしています。

 

そして、当然の帰結として起こる事故や怪我に見舞われ、それを自らが必然的に起こしていると気づくことすらなく、身の不運を嘆き悲しみ、勝手に自己否定のスパイラルに陥っていく・・・。

 

今振り返ってみれば、神の采配としか思えない、今の夫との出会い、そして、ネイチャー理論との出会いがなければ、私もそうして破滅の人生を歩んでいたことは、間違いないだろうと思います。

 

自分自身のミッションに気づく

では、なぜ、私がネイチャー理論と出会い、これを世の中に広める役割を担うことになったのか?

それも今、私は徐々に実感し始めています。

人は皆、それぞれ、今回の人生で成し遂げる、あるミッションを持っている、と私は考えています。

そのミッションを達成するために必要な道具として、それぞれのネイチャータイプを持って生まれてくる。

そう考えると、一人一人のネイチャータイプが違っていることも、見事につじつまが合うからです。

私自身のネイチャータイプも、広く世の中に意味あることを伝え広め、一人一人と向き合って、その人の理想を実現するという活動を行ったとき、最大限にプラスに働くことは、ネイチャー理論を深く学んだ私にとっては、火を見るよりも明らかです。

それを深く実感するために、これまでの人生があった、と考えると、これもまた、ぴったりとすべてが符合するのです。

 

今、みなさんの人生の「気候」はいかがですか?

順風満帆、という人もいれば、嵐の中をさまよっている、という人もいるでしょう。

その全てに善悪はありません。

ただ、ネイチャー理論を知っているのと知らないのとでは、人生の航海の内容が全く異なる、ということを知っていただきたいのです。

成功するパターンは何度も再現ができ、失敗するパターンは上手に避けることができる。

仕事においても、対人関係においても、家庭生活でも、どんな場面においても、です。

 

ネイチャー理論を知らないままだと、成功も「たまたま、運がよかった」というだけで、再現性は著しく低く、知っていれば避けられる事故や怪我も、自ら災いに飛び込むように、無益に繰り返すことになりかねません。

では、私は一体どうしたらいいの?

そう思われた方、その気持ちはとてもよくわかります。

 

自分を知り、活かすことがすべてのスタートライン

今の夫と出会った頃の私は、とにかく「何をやってもうまくいかない」という焦りで、さまざまなセミナーに通ったり、ネット上に無数にある、いわゆる「情報商材」に手を出しかけていたからです。

 

最終的には、夫という専属のコンサルタントを得た、というオチですが(笑)、それはなにも、夫婦だからうまくいったというわけではありません。

誰にでも、必ずうまくいく「その人だけの王道」があります。

その王道から外れないように、夫がうまくコンサルティングしてくれたことで、今の私があります。

ここで間違いやすいポイントは「すべての人がうまくいく王道」ではない、ということ。

ですからみなさんも、巷のコンサルティングサービスやハウツー本を見たときに「誰でもできる・・・」「どんな人も間違いなく成功をつかむ・・・」とあったら、真っ先に疑ってくださいね。

そんなものがもしあるとしたなら、世の中の人は全員成功者です。

そうならないから、過去の私のように、迷子になってしまう人がいるんです。

 

最初にやることは、自分の「成功パターン」を見出すことです。

私の生い立ちから仕事のキャリアまでの中にも、いくつかうまくいっているパターンがあります。

例えば、

・前例のないことや、その場の状況に応じて解決策を見出す

・未来の明確なイメージを持つことで、理想の状況を引き寄せる

・物事の本質にこだわって掘り下げる

こういうパターンに入ると、自分の実力は最大限に発揮されるので、当然、うまくいきます。

うまくいけば、楽しくなりますから、やる気もどんどんアップして、さらに大きな成果につながる。

完全に「上昇系スパイラル」に入れます。

 

でも、逆に

・目的が明確でないまま、指示命令に従う

・その場しのぎ対応に終始する

・未来を心配したり不安を持つ

というパターンに入ると、自分の持っている力がマイナス方向に作用しますから、当然、悪い結果になる。

落ち込んだり、自分のことを責める気持ちが出て、やる気も落ちるので、能率も上がらず、成果が出にくい状態が続いてしまう。さっきとは真逆のパターンです。

 

つまり「人生うまくいくかどうか」は、単純に、このどちらのパターンにいるのか、ということだけです。

何も、難しいことはありません。

 

では、どうやって「成功パターン」を知るのか?

そのときに強力な味方になってくれるのが「ネイチャー理論」です。

 

このお話をすると、中には「自分の強みくらい、自分でわかっているから、そんなものは必要ないよ」とおっしゃる方がいます。

本当にそうでしょうか?

 

では、あなたは、今、これを読んでいるこの瞬間、自分がどんな表情をしているか、正確に言うことはできますか?

実際に、鏡に写して自分の顔を見てみてください。

どうです?想像とかなり違っていませんか?

 

人は、なんの手がかりもなしに自分自身を客観的に知るというのは大変に難しいものです。

先ほど紹介した、私の成功パターン・失敗パターンも、過去の経験だけから導き出すことはかなり難しい課題です。

 

ところが、ネイチャー理論を使うと、これが瞬時にスパッと出てきます。

過去の自分の行動を分析することはもちろん、これから先の行動を決める場合に「最初から成功パターンで取り組む」という選択ができるので「勝手にうまくいってしまう」のです。

 

ネイチャー理論で自分自身の本質的な能力特性=ネイチャータイプの特徴とその上手な活かし方を知る。これがすべてのスタートラインです。

 

相互理解のための正しいコミュニケーション

ただ、ここで少々厄介なのは、仕事にしても社会生活にしても、すべてのことに「自分と他者との関係」がつきものだ、ということです。

相手とのより効果的・効率的な「コミュニケーション」も重要ですよね。

 

コミュニケーションは「相手に正確に伝わる」ということではじめて成立します。

となると、相手が自分と全く異なるタイプの人だと、どんなに丁寧に説明しても全然通じない!ということも起こります。

相手の特徴を理解し、伝わりやすいコミュニケーションができれば、人間関係の問題も簡単に解消できます。

 

ここまでできれば、ほぼ、日常の仕事や家庭生活での悩みはなくなり、毎日の生活で、幸福感を感じられるようになっていきます。

この状態を作るための一番のオススメが「ネイチャー理論マスター講座」の受講です。

 

実は、私が今の状態まで整ってきた一番の理由は、側にいる夫が「自分を知り、相手を理解した上でのコミュニケーション」を意識できるよう、はたらきかけ続けてくれたからです。

つまり、知識の定着と、実践での経験値をあげるために、自然に継続学習ができる環境を作ってくれていたのです。

この「ネイチャー理論マスター講座」も、できるだけ、それに近い状態を作ろう、ということで、講座の再受講は永久無料、何度でも受けられるようにしました。

さすがに、受講してくださる皆さんとは、夫婦のようにいつも一緒にいるわけにはいかないので、Facebookグループを作り、そこで、いつでも質問にお答えできる環境を整えました。

月に1回くらいの頻度で、スマホやタブレットから簡単に参加できるテレビ会議を使った無料の勉強会をしたり、実際に集まって情報交換することもあります。

 

講座を修了した人たちは「ネイチャー理論ライフコーチ」として、どんどん活躍してくれていて、このコーチ仲間のコミュティの存在も、私にとっては大きな宝です。

もともと、集団行動が苦手で、意味もなく集まっておしゃべり、というのも好まない私。

仲間づくり、コミュニティづくりが極端に苦手だったのですが、今は、同じ志を持つ人たちが緩やかにつながって、お互いにサポートし合う関係性ができつつあります。

それが、とても心地よいのです。

 

「スーパーコーチ」がどんどん育つ!

ネイチャー理論で自分を知り、周囲の人たちのことも理解できるようになってくると、それだけで、生活が一変した!という人はとても多いです。

そこで、もう少し踏み込んで、自分自身はもちろん、パートナー、子ども、上司・部下・同僚・・・周りの人たちの強みをもっと引き出してあげたい!という段階に進んだ方には「質問力講座」「聴心力講座」をオススメしています。

 

私が講師として最初に教えるようになったのが「魔法の質問」をベースにした「質問力」のスキルです。

その頃、質問力が課題の解決に大きな力を発揮することは感じていたものの、ちょっと気になっていたことがありました。

それは「同じ質問でも、答えやすい人と、答えるのが難しい人がいるのはなぜだろう?」ということ。

今は、ネイチャー理論を知っているので、人によって答えやすい質問と答えにくい質問があるのは当たり前!って思うのですが、当時の私は、人それぞれ、質問の意図の理解や答えの組み立て方にそこまで差があるとは全く知りませんでした。

 

ネイチャー理論を学んで、一人一人の強みを生かす発想を身につけた人が、上手な質問で相手の心の中にある答えを引き出すことができれば、鬼に金棒!

みんな、自分の答えに従って、前向きに物事に取り組んでいくことができるはずです。

 

さて、この「質問力」と、車の両輪とも言えるのが「聴心力」です。

コーチングのスキルなどでは「傾聴力」と言いますが、私は、あえて、心を聴く「聴心力」という言葉にこだわっています。

相手に対する質問の答えをしっかり聞き切る力があってこそ、質問の力も活きてきます。

 

私が3年かけて「わもん」で実践した聞き方のトレーニングを、わかりやすく、自分で継続しやすい形にしたのが「聴心力講座」です。

ここでお伝えする「心を聴く聴き方」で、周囲の身近な人たちの話を聞いてあげる人が増えることも、また、人々の心の平和のために欠かせない大切な活動だと考えています。

 

ここまで読めば、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。

ネイチャー理論マスター講座・質問力講座・聴心力講座、この3つの講座をコンプリートして、かつ、学んだ内容を実践し続けると・・・・

そうです!私、首藤ひろえと同じことができるようになります!!

 

私は、自分で自分のことをそんなにすごい人間とも思っていません。

確かに、人より秀でた能力を持っている分野もあるとは思いますが、私がやっていることは、誰でもできる、とも思うのです。

 

それぞれが、それぞれの特性を活かして、唯一無二の「スーパーコーチ」がどんどん生まれてくる未来を思うと、私はただただ、ワクワクしてたまらないのです。